好きなことがない、やりたいことがみつからないとダメなのか?

こんにちは。

生きづらいけどなんとか母をやっている、水色です。

やりたいことをやろう!

好きなことで生きていこう!

益々、そういう風潮の世の中になってきた(ように思う)

それはそれで、もちろんいいことだと思う。

好きなことで生きていけるなんて甘いこと言うんじゃない!という考え方が主流だった頃と比べると(いや、今だってそういう人はいるけどね、たくさん。)よっぽどいい。

いいんだけれど、こうなってくると特別やりたいことが見つからない、と深刻に悩む人もでてくる。

どうしても好きなことや夢中になれることを見つけなければ…という焦りが生まれる。

好きなことがない=素敵じゃない、というような雰囲気ってどうなんだろう?

そういう私自身も、それに押しつぶされそうになったりしている一人でもある。

好きなことに一直線に夢中になっている人、そしてそれを仕事にしている人が眩しくて仕方ない時期もあった。

やりたいことが定まらなくて、新しいことを始めてはやっぱり違う…とフェードアウトすることを繰り返す自分が情けなかった。

でもある時、ようやく気がついた。

『好きなことをする』は手段であって目的ではない、と。

だから、好きなことや、やりたいことがみつからなくても、全然ダメじゃないと思うのだ。

好きなことをするのは『幸せに生きる』ため

好きなこと・やりたいことをやった方が良い、の意味は、好きなことには夢中になれて、自然と努力できて、その結果その道で才能を発揮できる可能性も高くて、何より本人がやっていて『幸せだから』だと思う。

目的は『幸せになる』ことだ。

幸せになるための『好きなこと・やりたいこと』なんであって、『好きなこと・やりたいことを見つける』のが目標じゃない。

やりたいこと・好きなことが見つからなくて、悶々としている状態って幸せじゃない。

幸せになるための『好きなことをやろう』なのに、それが見つからない自分にダメ出ししちゃうのは、何か本末転倒だと思うのだ。

『好きなことをしよう!』の呪文に惑わされてはいけない。

大切なのは、自分が『幸せに生きていくこと』

考えるべきは、世間一般の人たちでもなく、あなたの親でもなく、友達でもなく、あなた自身にとって、『幸せに生きるための要素』は何なのか?ということだ。

『好きなこと』をする時間が幸せなのには何の反論もないけれど、その『好きなこと』は、別に大きなことでなくってもいい。

特に仕事にならないことでもいい。

DVD観るのが好き。

お笑い観るのが好き。

甘いものを食べるのが好き。

散歩が好き。

他愛もないことにしか楽しみを見いだせないことで自分を卑下する必要なんて全くない。

むしろ、褒めていいくらいだと私は思う。

好きなことで生きていくだけが幸せじゃない

好きなことを仕事にすることが今のところ叶ったことのなくて、そんな自分にコンプレックスを抱いていたわたしが『好きなことを仕事にする』について改めて考えたのは、子どもの絵本を読んでいた時のこと。

電車の運転手さんの朝起きてから、始発電車を終点まで運転する様子が詳しく描かれた絵本だった。

中央線の始発を運転する運転手さんは朝3時に起きるそうだ。

乗務員用寝室で自動起床装置におこされました

と、書いてある。

自動起床装置とは、時間になるとマットレスの下のエアーバックが膨らんで、寝ている人を起こす装置だそうだ。

始発電車の運転手さんが寝坊をして始発が動かないと大変だから、前日から泊まり込んでその装置に起こされるようなシステムになっているのだろう。

この絵本の作者は元JRの車掌さんだそうなので、だいたい実際の様子に近いことが書いてあると思うのだけど、もしわたしだったら、そんな装置に起こされる生活は嫌だなぁ~と思ってしまう。

わたしがものすごく電車好きで、子どもの頃から絶対に運転手さんになりたい!と思っていたら、朝の3時に自動起床装置に起こされる生活でも、幸せだろうか?

ちなみにわたしは、規則的で充分な睡眠がとれないと正常なメンタルが保てない。

だから、どんなに電車が好きで運転手という仕事にあこがれが強くても、そんな状況では幸せに過ごせないような気がした。

そんな風に考えてみると、『好きを仕事に』が必ずしも幸せではない、と私は思う。

例えばわたしにとっては、幸せでいるためには、マイペースで身体に無理なくある程度規則的に過ごせる環境が必要なのだ。

自分の幸せに必要なものは何なのか?

結局のところ幸せになるためには、好きなことを必死で探すよりも、自分が幸せでいるために必要なもの・こと・環境について考えた方が、近道だとわたしは思う。

どんな仕事をするか?(仕事をしないという選択肢も含めて)は、人生の幸せ度に大きく影響するけれど、好きな仕事のためならどんな苦労もいとわない、という人もいれば、規則正しい暮らしが出来ることが大事な人もいれば、働く時間が短い方が良いという人もいる。

プライベートと仕事を分けたい人もいれば、混ざっていていい人もいる。

好きなことはあえて仕事にしたくない人だっている。

どれが正解とか、どれが素敵、なんて自分が決めることだ。

『幸せでいる要素を知る』というのは、裏を返せば、『どうしても嫌なことを知っておく』ということでもある。

例えば、わたしだったら、先に書いたように充分な睡眠時間がとれない激務は嫌、とか。

いくらお金がもらえても私自身がこれは誰かを不幸にしている、と感じる要素があることも出来ない。

どうしても嫌いな人と毎日会うのも嫌だ。

これだけはやりたくない、ということを決めて、それをやらなくていい生き方を選んでいくのだって、消極的なようだけれど、いい方法だと思う。

いずれにしてもこれは自分を知っていないと出来ないことだ。

自分が欲するもの・嫌なものを知っているのはすごく大事だ。

素敵な人の条件があるとしたら、そこじゃないかと思う。

自分を知って初めて、幸せになれると言ってもいいかもしれない。

そして、生き物だから、いつも自分の気持ちは移りゆく。

1年前と今では幸せになるために必要なことは違うかもしれないのだ。

いまの自分の気持ちを素直に感じることができれば、特別好きなことややりたいことがなかったとしても怖れることは何もない。

それに自分の気持ちを感じられる状態なら、好きなことにもきっと出逢いやすい。

そもそも好きなことって勝手に自然にやっていることだと思う

本当に打ち込める好きなことって、一生懸命探した結果、見つかるものじゃない気がする。

気がついたらやっていて、特に意識しなくてもなんだかやり続けていることなんだと思う。

だから、何となく興味が湧いたことがあったら、まずはやってみたらいい。

いいんだよ、続かなくっても。

いいんだよ、仕事にならなくっても。

いいんだよ、人が何と言おうと。

大切なのは、やってみた、ということ。

『やりたいと思っていた』のと、『やってみた』のは、全然違うから。

上手くいかなくても、自分に合わなくても、それはやってみたからこそわかること。

行動することで、ひとつまた自分を知ることが出来る。

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