はじめまして。
みずいろスイミングです。
泳ぐことと青緑色とトマトが好きです。
生きづらくてしょっちゅう死にたくなりながらも、なんとか生きてきました。
これからも生きていくでしょう、たぶん。
なぜなら、死にたい気持ちよりも生きている喜びの方をより強く感じられるようになってきたからです。
そうして少し生きやすくなってくるにつれて、これまで自分が上手くやれなかった理由が少しずつみえてきました。
そのかつての”上手くやれなかった”自分の行い(あまりにも空回りで独りよがりな)が恥ずかしすぎてもう一度この世から消えたくなったりはしているけれど、
そんな事柄も、過去の自分へのつっこみと、いたわりをこめて書いていこうとおもいます。
もしかしたら誰かの役に立つかもしれないし、もしそうでなくても、書くことで、自分と仲良く出来るような気がするから。
ここで書いている「これはやめた方がいい、あれこれ」は、大抵の場合、かつての自分がやってきたことです。
だから、読んで「これ私やってるじゃん?!」と感じても落ち込まないでください。
大丈夫。
あなただけではありません。
生きづらい人、他者と上手くいかない人のほとんどが通る道です。
一生気が付かない人もたくさんいるだろうし、その方が楽かもしれない。
「どうせわたしなんて」と、被害者として生きていきたいなら。
でも『変わるのに遅すぎることはない』らしいし、気が付いたそのときから、もし自分が望むなら、変わっていける。変わっていきたい。幸せを感じられる方へ。
そう考えているあなたに読んでもらえたら嬉しいです。
遡ってなかったことにしたい過去は数えたらキリがないほどあるのだけど、ひとが失敗から学ぶとしたら、むしろたくさん失敗したからこそ、みえてくる景色がある。
わたしは、そう信じています。
人が少しでもしんどくない方へ進むために何より必要なのは”自助する力”だと、わたしは思うのです。
もちろん”自己責任”という意味ではありません。
辛いときに自分をいたわることのできる力、
折れそうなこころを支えてくれるものを見つける力、
自分を傷つけるものから遠ざかり暖めてくれるものへ近づく力…
”自助する力”とわたしが呼んでいるのは、そういう力のことです。
当たり前のようにありのままの自分を愛されて育った人には、おそらく当たり前のように備わっているだろう自助する力だけれど、
わたしを含め、自分を大事に思えない育ち方をしてきた人たちにとって、それを手に入れることはまったく簡単じゃない。
そもそも自助していいんだと思えるまでが長い長い道のりだったりする訳です。
わたしにとって、わたしのこころを支えてくれたもの、自助する力を養ってくれたものは本でした。
誰か特定の人にすがると不都合が色々起きるけれど、本にすがって毎晩読み返しても大丈夫。
そういうものがあったことが、わたしを生き永らえさせてくれたと思っています。
もちろん、数冊の本で生きづらさがなくなる訳じゃないけれど、自分を(傷つけることなく)救うものがこの世に存在すること自体がわたしの一つの拠り所になったから、そういう誰かの”自助”につながるかもしれないものを、わたしもこの世界の片隅にそっと置くようなことがもし出来たなら、すごく嬉しい。
それぞれの人に、それぞれのプロセスがあって、その歩みの中で、偶然にもここに訪れてくださってありがとうございます。
きょう、好きな食べものを美味しく食べた。
柔らかなぽかぽかとした日射しの中で散歩した。
そんなささやかですばらしい喜びを糧に日々を生きられる人が増えますように。
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